なぜ誰も会議を効率化しないのか、やっと理解した話

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「業務を効率化しよう」

社長をはじめ、社内でよく言われることです。うちの会社も例外じゃありません。

でも、毎週の定例会議は相変わらず2時間あります。来週も再来週も、たぶん変わりません。

誰も「やめよう」と言わない会議

うちのチームには週2回、定例の会議があります。

ひとつは月曜の朝イチにある報告会。各自が先週の数字と今週の予定を順番に話していく、あれです。所要時間は毎回90分前後。全員が週次レポートをSalesforceに入力しているので、正直ここで話す内容のほとんどはすでにツール上で共有されています。

もうひとつは木曜の改善会議。「チームの課題を話し合う」という名目で設定されている1時間の会議です。毎回それっぽいテーマが上がって、それっぽい意見が出て、「では来週また状況を確認しましょう」で終わります。根本的な解決策が決まることは、少なくとも僕が参加した2年間でほとんどなかった。

チームのメンバーに聞いてみると、みんな「あの会議、意味あるんですかね」とは思っています。でも誰も「なくしましょう」とは言わない。

僕もずっと不思議でした。なぜ誰も動かないのか。

田辺部長にとっての会議

ある日、ふと気づいたんです。

田辺部長にとって、あの会議は「部長らしくいられる時間」なんじゃないかと。

田辺部長は正直に言うと、現場の営業もチームのマネジメントも、あまり得意ではありません。数字を一緒につくりにいくタイプでも、メンバーの育成を丁寧にやるタイプでもない。でも部長としてのプライドはある。それは確かです。

そこで会議の場面を思い返してみると、田辺部長は明らかにいきいきしています。

メンバーから報告を受ける。部長らしい。

相談されて判断を仰がれる。部長らしい。

「それはこういうふうに考えたほうがいいんじゃないか」とアドバイスする。部長らしい。

報告の内容はSalesforceを見ればわかる話でも、やっぱり会議で口頭で報告を受けるほうが、田辺部長にとっては「部長をやっている」という実感があるんだと思います。

アドバイスの内容は毎回わりと抽象的で、「お客様の課題をしっかり聞いてみるといい」とか「関係性を深めることが大事」とか、そういう話が多いです。それで何かが変わったという記憶もない。でも田辺部長にとってはたぶん、アドバイスしたという事実が大事なんだと思います。結果に責任を取ることはないけど、アドバイスしているのは部長らしい。

なぜメンバーも黙っているのか

もうひとつ気づいたのは、メンバー側の事情です。

田辺部長はあの会議で機嫌が良くなります。報告を受けて、判断して、アドバイスして、「部長として存在できている時間」を過ごすことで、週の後半は明らかに動きやすくなる。

稟議を通してもらうのも、ちょっとした融通を利かせてもらうのも、田辺部長の機嫌がいいときのほうが圧倒的にスムーズです。メンバーはそれを経験で知っています。

だから誰も会議を削ろうとしない。あの90分は、田辺部長の機嫌を整えるための時間として、チーム全体が暗黙のうちに合意しているわけです。

効率化しようとしたら、むしろ損をする構造になっている。

これ、うちの会社だけの話じゃないと思うんですよね。「なぜかなくならない会議」がどこの会社にもあるとしたら、たいていこういう理由なんじゃないかと感じています。誰かにとって意味のある場だから、残り続けている。それが生産性や成果と関係なくても。

効率化できない会議に気づいたとき

以前の僕なら、田辺部長のことを「わかっていない人」と切り捨てていたと思います。でも今はちょっと違う見方をしています。

田辺部長も、あの会議の中でしか「自分が部長である」という実感を得られない環境に置かれているわけです。現場の成果に直接関われない、でも部長という役職はある。そのギャップを埋めるために会議が機能している。

そう考えると、これは田辺部長の個人的な問題というより、役職と実力と評価がかみ合っていない組織構造の問題だと思います。

ただ、そうは言っても僕の時間は毎週2時間半、田辺部長の機嫌を整えることに使われているのも事実です。月に換算すると10時間。年間だと120時間。

120時間、何かを生み出したわけじゃない時間があることになります。

問題は田辺部長じゃなかった

最初は「田辺部長がああいう人だから」という話だと思っていました。でも違いました。

田辺部長がいなくなっても、おそらく同じ構造の会議は生まれます。組織の中に「部長らしくいられる場所」が必要で、それを会議という形で確保するという慣習は、個人が変わっても残り続けるものだと思います。

そしてメンバーも、その構造を合理的に利用している。機嫌を取ることで仕事を回しやすくしている。誰も悪くない。でも全員で一緒に非効率を維持している。

効率化が「個人の成果」につながらない構造の話を前回書きましたが、これも同じ話だと思っています。

頑張る方向が、成果とつながっていない。

会議を効率化しようとしたら、むしろ関係が悪くなる。だから誰もやらない。それは「合理的な判断」なんですよね、この環境の中では。

ただ、「この環境の中では合理的」というのが、どんどん怖くなってきています。

自分がいる場所の構造が、自分の行動を決めている。それに気づかないまま続けていると、10年後も同じ会議室で同じことをやっているかもしれない。

それだけは、避けたいと思っています。