金曜日の夜、会社の近くの居酒屋で飲み会があった。営業部と技術部の合同で、15人ほど集まった。
飲み会のときはみんな笑顔だった。オフィスでは話さないようなプライベートな話が飛び交う。仕事中は成果や納期に追われて、常に緊張している。誰かがミスをすれば、それが自分の負担になる。だから表情も硬くなるし、会話も必要最低限になる。
でも飲み会になると、そのプレッシャーから解放される。笑い声が聞こえる。普段は見せない表情を、みんなが見せる。私もそんな飲み会の時間が好きだった。
隣の営業チームの吉岡課長も、そこにいた。40歳。家を持ち、子供が2人いる。営業成績は安定していて、穏やかな人だった。
「毎日どんな味を食べようか選ぶのが楽しい」
2軒目に移動した焼き鳥屋で、宮沢部長が吉岡課長に話しかけた。
「吉岡さんは昼いつもカップラーメンだよね。飽きないの?」
吉岡課長は、タバコに火をつけながら、にこやかに答えた。
「毎日どんな味を食べようか選ぶのも楽しいんですよ。コンビニにはいろんな味があるし、新しい味も次々出るし。今週は豚キムチが当たりでしたね」
周りの何人かが笑った。課長も笑っていた。タバコをふかしながら、とても自然に、楽しそうに話していた。
私はその瞬間、笑えなかった。
本当はきっと、そう思い込まないと辛いんだと思った。毎日カップラーメンを選ぶことに楽しみを見出したくて、無理にでもそこに喜びを探しているんじゃないか、と。
吉岡課長の年収は、恐らく500万円から550万円くらいだと思う。課長職で、営業としての実績もある。家のローンと子供2人の教育費を考えると、昼食に使える金額は限られている。だから毎日カップラーメン。ファミリーマートで買えば120円から150円。それが「選ぶ楽しみ」として語られる。
私は当時27歳で、独身だった。昼食には大体500円から700円使っていた。松屋の定食が490円、サイゼリヤのランチが500円、コンビニで弁当を買えば600円くらい。それでも「安く済ませている」感覚があった。
でも課長は、毎日カップラーメンだった。そしてそれを「楽しい」と言っていた。
「お金を使わない趣味を持つのが人生を楽しむコツ」
その後、吉岡課長は私の隣に座った。ハイボールを飲みながら、課長は話し始めた。
「俺の趣味は読書とカップラーメンなんだよ。あとは休日に近所の公園で子供と遊ぶこと。いかにお金を使わない趣味を持つかが、人生を楽しむコツだと思うよ」
課長はにこやかに、アドバイスをするような口調で話していた。決して愚痴ではなかった。むしろ、人生の知恵を共有してくれているような、そういう温度感だった。
私は「そうなんですね」とだけ答えた。それ以上、何も言えなかった。
課長にもなったら、ゴルフに行ったり、行きつけのバーで飲んだりするものだと、漠然と思っていた。会社の先輩や上司が、たまに「週末ゴルフ行ってきたよ」と話しているのを聞いたことがある。それが「課長」という立場の人間の生活だと思っていた。
でも吉岡課長は、読書とカップラーメンだった。そして趣味を見つける基準が、「いかにお金を使わないか」だった。
それはアドバイスとして受け取るべきなのか、それとも警告として受け取るべきなのか。私にはわからなかった。
我慢をポジティブに言い換えているだけではないか
3軒目のカラオケに移動するタクシーの中で、私は吉岡課長の言葉を反芻していた。
「いかにお金を使わない趣味を持つかが、人生を楽しむコツ」
その言葉は、確かに一理ある。浪費をせず、身の丈に合った生活をすることは大切だ。お金がなくても楽しめることを見つけられるのは、ある意味で強さだとも言える。
でも、それは本当に「選んだ」結果なのか。
吉岡課長は、40歳で課長職にいる。営業として10年以上のキャリアがある。でも、昼食はカップラーメン。趣味を選ぶ基準は「いかにお金を使わないか」。そういう生活を、「楽しむコツ」として語っている。
それは、我慢をポジティブに言い換えているだけではないのか。
もしかしたら課長は、本当はもっと違う昼食を食べたいのかもしれない。行きつけの定食屋で、温かいご飯と焼き魚を食べたいのかもしれない。週末には子供を連れて少し遠出して、家族で外食をしたいのかもしれない。でも、それができない。だから「カップラーメンを選ぶのも楽しい」と言う。そう言わないと、やっていけないから。
私はそう感じた。そしてその感じ方が正しいかどうかは、確かめようがなかった。
40歳で年収550万円、その先にあるもの
吉岡課長の年収は、恐らく550万円前後だ。課長職で、営業としての実績もあって、勤続15年以上。それで550万円。手取りにすれば月35万円くらい。そこから住宅ローンが月10万円、子供2人の教育費や生活費を引けば、自由に使える金額はほとんど残らない。
昇給は年に1万円から2万円。このペースで行けば、50歳で年収600万円に届くかどうか。部長に昇進すれば650万円くらいにはなるかもしれないが、それも確約されているわけではない。
つまり、今の生活が、あと10年続く。カップラーメンを選ぶ楽しみを見出しながら、お金を使わない趣味を探しながら、そうやって日々を積み重ねていく。
それが、課長になった先の現実なのか。
私はそれまで、漠然と「昇進すれば楽になる」と思っていた。課長になれば、もう少し余裕ができる。給料も上がるし、生活も少し豊かになる。そういうイメージを持っていた。
でも吉岡課長を見ていて、そのイメージは崩れた。課長になっても、カップラーメンだった。趣味は「お金を使わないこと」が前提だった。
笑顔の裏にある、静かな諦め
終電近くになって、みんなで駅まで歩いた。吉岡課長は少し酔っていて、機嫌が良さそうだった。
私は課長の後ろ姿を見送りながら、胸の中で何かが重くなるのを感じた。
吉岡課長は悪い人じゃない。むしろ、誠実で、優しくて、後輩にもアドバイスをしてくれる人だ。家族を大切にして、真面目に働いている。そういう人だからこそ、余計に重かった。
課長の笑顔は、本物だったと思う。でもその笑顔の裏に、静かな諦めがあるようにも見えた。「これが現実だから、ここに喜びを見つけるしかない」という、そういう諦めが。
私は24歳だった。まだ独身で、まだ課長でもなく、まだ「将来はもっと良くなる」と信じることができた。でも、16年後の自分が、カップラーメンを「選ぶ楽しみ」として語っている姿を想像すると、何とも言えない気持ちになった。
そんな我慢を、無理にポジティブ化したような人生は嫌だ、と思った。
でも同時に、「じゃあどうすればそうならずに済むのか」という問いに、私は答えを持っていなかった。吉岡課長だって、真面目に働いてきた。営業としての実績もある。それでも、カップラーメンだった。
努力だけでは足りないのか。それとも、努力の方向が違うのか。あるいは、会社そのものの構造が、そういう未来しか用意していないのか。
私はその夜、一人で終電に乗りながら、ずっとそのことを考えていた。
「楽しむコツ」ではなく、「我慢の技術」
翌週の月曜日、昼休みに社員食堂に行った。吉岡課長は、いつも通りデスクでカップラーメンを食べていた。日清の「カップヌードル シーフード」だった。
課長は、お湯を注いで3分待つ間、スマホで何かを見ていた。恐らくニュースアプリか、何かの記事を読んでいた。お湯が沸くのを待つ時間も、無駄にしない。そういう生活が、染み付いているように見えた。
私は松屋で牛めし並盛(500円)を買って、食堂で食べた。温かいご飯と、味噌汁と、牛肉。それが500円で食べられる。それでも、毎日これを続けるのは少し飽きる。
吉岡課長が言っていた「人生を楽しむコツ」は、本当にコツなのか。それとも、我慢をうまく続けるための技術なのか。
私にはまだ、答えが出なかった。でも、少なくとも一つだけはっきりしたことがあった。
40歳で課長になっても、生活が楽になるわけではない。むしろ、家のローンと子供の教育費で、自由に使える金額は減っていく。そして、その生活を「楽しむコツ」として語らなければ、やっていけない。
それが、この会社で働き続けた先にある未来の一つだった。







