最高のチームだった。それでも、残業はなくならなかった

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会社が嫌いだったわけじゃない。職場の人間関係が最悪だったわけでもない。むしろ、逆だった。

私がいたチームは、正直なところ、恵まれていた。課長、リーダー、メンバーあわせて9人。全員が、いい人だった。仕事の合間に声をかけ合い、誰かが一人で悩んでいたら気づいて声をかける。ギスギスした空気はなく、笑い声が聞こえる職場だった。

それでも、残業はなくならなかった。

この話をするとき、私はいつも少し立ち止まる。なぜなら、あのチームへの感謝と、あの状況への疑問が、今も同時に胸の中にあるからだ。

「環境がいい」という幸運と、その限界

最初に入ったチームがあそこで、本当によかったと思っている。社会人になりたての自分には、あの雰囲気がどれだけ救いになっていたか。職場でつぶれていく人間の話を後になっていくつも聞いたが、あの頃の私がそうならずに済んだのは、あのチームの空気のおかげだと思っている。

宮沢課長は、定例会でよく名前を呼んだ。「早坂の活躍をお客さんが喜んでいたよ」と、チーム全員の前で言う。褒められた本人が照れ笑いをして、周りがそれを温かく見守る。そういう場面が、定期的にあった。誰かが勉強してきたことを発表すると、課長は「よく勉強したね」と言いながら「ここはどうなっているの?」とフラットに掘り下げてくる。批判でも、尋問でもない。純粋な関心として。

それは、特別なことだと今ならわかる。人を認めながら、同時に深く聞く。それができる人間は、そんなに多くない。宮沢課長はそれが自然にできる人だった。

だから、そのチームにいると、安心できた。困ったことがあれば話せる。誰かが詰まっていれば助け合える。そういう場所は、なかなかない。

でも、その「安心感」は、残業という事実を変えなかった。

「なんとかする」と言ってくれた、でも変わらなかった

定例会では、こういう場面もあった。

課長が「みんな、何か困っていることはないか?」と聞く。すると、誰かが正直に言う。「毎日の残業が辛いです」と。別の誰かが続く。「この忙しさの終わりが見えないのが、一番きつい」と。

言えた、というのは、すごいことだと思う。課長やリーダーを信頼していなければ、そんな言葉は出てこない。場の空気が安全でなければ、誰も本音を言わない。あの言葉は、チームへの信頼の証だった。

課長は言った。「わかった。なんとかする」と。

その瞬間、場の空気が少し軽くなった。誰かがうなずいていた。私も、その言葉を聞いてほっとした記憶がある。全部が解決するわけじゃなくても、見てもらえている、聞いてもらえている、という感覚だけで、少し楽になれるものがある。

でも、残業は変わらなかった。

翌月も、その翌月も、定例会では同じ声が出た。「忙しい」「終わりが見えない」「疲れている」。課長は誠実にそれを受け取り続けた。「わかった」と言い続けた。私はその繰り返しを見ながら、少しずつ、別のことを考え始めていた。

課長が「なんとかできない」理由

課長が嘘をついていたわけじゃない。本当になんとかしようと思っていたはずだ。でも、できなかった。そのことを責めたいわけじゃない。ただ、なぜできなかったのかを、私はずっと考えていた。

残業を減らす、という問題は、単純に見えて、そうじゃない。仕事量を減らすか、一人当たりの処理スピードを上げるか、チームの人数を増やすか。そのどれかしか、原理的に手はない。でも仕事量は、顧客からやってくる。処理スピードは、一人の努力だけでは頭打ちがある。人を増やすことは、課長の判断だけではできない。

つまり、課長が「なんとかする」と言えた範囲は、実はとても狭かった。チームの内側でできることは、もうだいたいやっていた。残業は、外から来る構造の問題だった。

ある日、私はふと気づいた。残業がないということは、仕事がないということだ。仕事がないということは、売上がないということだ。そう考えると、今の残業がある状態は、少なくとも仕事はある状態だ。チームの目標数字が達成できていない状態よりは、まだましなのかもしれない。

そう思い始めた瞬間、何かが少し怖くなった。私はいつの間にか、「残業があること」を当然のこととして受け入れようとしていた。

良い人たちが、なぜ疲弊し続けるのか

あのチームへの違和感は、誰かへの不満じゃなかった。全員が良い人で、誠実で、助け合っていた。それは本当だった。でも、チーム全体がじわじわと疲弊していっているのも、また本当だった。

誰かのせいではない。でも、誰かが消耗していく。その矛盾が、どうしても頭から離れなかった。

一人で悩まないチームだった。困ったことがあれば声をかけ合えた。それなのに、「残業が辛い」という問題だけは、何ヶ月経っても解決されなかった。チームワークでは解決できない何かが、そこにあった。

私はその頃から、漠然と考えるようになっていた。人間関係の問題じゃないとしたら、何の問題なんだろう、と。雰囲気が悪いわけじゃない。サボっている人がいるわけじゃない。課長が無能なわけでもない。それでも残業がなくならないなら、問題はどこにあるのか。

答えはずっと出なかった。でも、疑問だけは積み重なっていった。

後になって気づいたこと

時間が経って、私はあの頃を振り返るようになった。そして少しずつ、輪郭が見えてきた気がした。

あのチームには、足りなかったものがあった。良い人間関係でも、課長の誠実さでも、メンバーの努力でも、埋められなかったもの。それは、ビジネスの設計そのものに関する知識だったんじゃないか、と今は思っている。

どうすれば少ない時間で高い利益を生み出せるか。どうすれば顧客への提案が、ただの作業請負ではなく、価値のある提案になるか。どこに時間を使えば、チームの売上が上がるか。そういう問いに、誰も答えを持っていなかった。私も含めて。課長でさえも。

それは責めるべきことじゃない。そもそも、誰もそれを教えてくれなかった。会社に入れば、目の前の仕事をこなすことを求められる。効率化の話はあっても、「利益率を上げる仕組みを設計せよ」という話は、現場には降りてこない。

良い人が集まっていても、仕組みの設計を誰も知らなければ、良い人たちが消耗するだけで終わる。そのことを、私はあのチームで学んだ。誰かの失敗談としてではなく、誰もが真剣に、誠実に働いた結果として。

「いい職場」は「報われる職場」ではなかった

あのチームは、今でも大切な経験だと思っている。人として信頼できる人たちと、一つの仕事をした経験は、簡単には手に入らない。宮沢課長の「なんとかする」という言葉も、嘘ではなかった。誠意として受け取っている。

でも、あの場所で学んだもう一つのことは、「職場の雰囲気が良い」ことと、「努力が報われる」ことは、まったく別の話だ、ということだった。

人間関係が良ければ、消耗しにくくなる。それは本当だ。でも、仕組みが変わらなければ、消耗し続けることもまた、本当だ。どれだけ良い人が集まっていても、どれだけ助け合っていても、構造そのものに問題があれば、その消耗のスピードが少し落ちるだけで、方向は変わらない。

私はあの頃、「こんな職場で働けてよかった」と思いながら、同時に「それでも毎日残業している」という事実の前で、ずっと言葉に詰まっていた。その二つは矛盾していなかった。どちらも、本当のことだった。

良い人がいる。でも、状況は変わらない。その不思議な共存を、私はあのチームで初めて目の当たりにした。そして、「良い職場を選ぶ」ことと「報われる場所を選ぶ」ことは、同じ問いへの答えにはならないと、静かに気づいていった。

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