前回、田辺部長にとって会議が「部長らしくいられる時間」になっているという話を書きました。
でも実は、メンバー側にも会議をなくせない理由があります。むしろこっちの話のほうが、根が深いかもしれない。
誰が何を決めていいのか、誰もわかっていない
うちのチームでは、案件を進める際に田辺部長の承認が必要な場面が結構あります。
価格の調整、提案内容の変更、例外対応の可否。こういう判断を現場メンバーだけで進めると、後から「なんでそんな判断をしたんだ」「なぜ相談しなかったんだ」と言われることがある。
どこまでは自分で判断していいのか、どこからは部長に確認が必要なのか。これが明文化されていないんです。就業規則にも、チームのルールとしても、どこにも書いていない。
なので何かあるたびに「一応、田辺部長に確認しておいたほうがいいか」という判断になります。確認しておけば「相談しました」という事実が残る。確認しないで進めると、後でリスクが来る可能性がある。
この状況では、確認を取り続けるのが合理的な行動になります。
メールで聞いても返信がない
最初のうちは、メールやチャットで確認していました。「この件、こういう方向で進めようと思いますが、いかがでしょうか」という感じで。
でも田辺部長、返信しないんです。
1日待っても返ってこない。2日待っても返ってこない。「確認いただけましたか」とフォローを入れても、「ああ、見てるよ」で止まる。その間に案件の期限は近づいてくる。
何度かこれで痛い目を見ました。お客様への回答が遅れる、提案のタイミングを逃す、そういうことが実際に起きました。
チームとして学習した結論はこうです。メールやチャットで聞いても判断は出てこない。会議の場で、全員がいる前で聞かないと田辺部長は動かない、と。
会議は「部長に仕事をさせる場」だった
これに気づいたとき、正直ちょっと複雑な気持ちになりました。
週2回の定例会議、あれは田辺部長のためにある会議じゃなくて、田辺部長に仕事をしてもらうために、メンバー側が設計した場なんです。
会議という公の場で、全員が見ている前で質問すると、田辺部長も無視できない。「どうしますか」と聞かれたら何かしら答えないといけない。この構造を利用して、メンバーは田辺部長から判断を引き出しています。
別に良い判断が出てくるわけじゃありません。「うーん、まあ様子を見てみよう」とか「もう少し丁寧に説明してみたら」とか、そういう話が多い。それで案件が前に進むかというと、進まないことのほうが多いです。
じゃあなんのために田辺部長の判断を取るかというと、後で文句を言われないためです。
会議で田辺部長に話して、田辺部長がその場で「いいんじゃないか」と言った。そういう体をつくっておかないと、後から「なんでそうしたんだ」と言われる。そうなると案件が止まる。案件が止まると現場メンバーの数字が悪くなる。
それを避けるために、田辺部長が判断したという記録をつくる。そのために会議を使っている。
こういう構造になっていたんです。
田辺部長だけじゃなかった
これ、田辺部長だけの話じゃないんですよね。
田辺部長の上には役員がいて、さらに社長がいます。田辺部長が役員にお伺いを立てる、役員が社長に確認する、という構造が上にも続いています。
社長は「スピード感を持って動け」と言います。でも実態として、案件を前に進めることよりも「ちゃんと上に報告・確認したか」を重視する文化があります。確認のプロセスを踏んだかどうかのほうが、案件が実際に動いたかどうかより評価される場面がある。
「業務を効率化しよう」と言っている社長が、実はお伺いを立てる文化を一番大切にしているかもしれない。
そう考えると、会議がなくならない理由は田辺部長の個性じゃなくて、組織全体の構造から来ているんだと思います。
誰も悪くないのに、全員で非効率を維持している
整理するとこういう話です。
役割と権限と責任が曖昧なので、メンバーは何かあるたびに上に確認しないといけない。田辺部長はメールやチャットでは動かないので、会議という場で確認するしかない。田辺部長にとって会議は「部長らしくいられる時間」なので、なくそうとしない。メンバーも後でリスクを取りたくないので、会議の場で判断を取ることをやめられない。
それぞれの行動は、この環境の中では合理的です。でも全員が合理的に動いた結果、週に数時間が「成果を生まない会議」に消えていく。
誰かを責めても変わらない構造だと思います。
ただ、この構造の中にいる限り、効率化しようとすればするほど浮いていくという感覚はあります。会議を削ろうとしたら田辺部長の機嫌が悪くなる。確認のプロセスを省こうとしたら後でリスクが来る。
効率化が報われない場所で、効率化し続けることに意味があるのか。
最近、そこをずっと考えています。


