課長の役割はなぜ「戦術と業務フローの維持管理」なのか——板挟みの構造を解剖する

環境の構造理解

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経営の論理と現場の情理に挟まれる課長と、3つの構造要因を示すアイキャッチ画像

僕がコンサルティングの現場で、何度も同じ場面を見てきた。

課長から「とにかく気合いで乗り切ってくれ」とだけ言われて、具体的な指示のないまま自分の席に戻っていく担当者。前の週に「これでいこう」と言われた通りに進めていたのに、今週になって急に方針が変わり、資料を作り直すことになった現場のリーダー。相談したいことがあっても、課長はいつも自分の作業に追われていて、なかなかつかまらない。

そういう場面に立ち会うたびに、現場のメンバーやリーダーの表情には、決まって同じ感情が浮かんでいた。なぜ具体的な指示をくれないのかという苛立ち。先週と話が違うことへの困惑。相談しても相手にしてもらえないという寂しさ。そして、「この人は課長という立場に向いていないのではないか」という、静かな失望。

僕自身も、最初はそう感じていた一人だった。

でも、何十人もの課長にヒアリングを重ねていくうちに、少し違う見方をするようになった。

課長という立場には、「戦術と業務フローを維持・管理する」という、明確な役割がある。日々の指示や振る舞いの多くは、この役割から論理的に導かれた行動だった。板挟みで大変だから仕方ない、という同情だけでは、その論理までは見えてこない。

この記事の3つのポイント
  • 課長の役割は「戦術と業務フローを維持・管理すること」であり、その振る舞いの多くは、この役割から論理的に導かれている
  • 課長が板挟みになるのは、プレイングマネージャー化・翻訳者としての機能・罰ゲーム化という3つの構造要因が同時に重なっているためであり、課長個人の性格や能力の問題ではない
  • 現代の組織では、従来10年単位だった昇進スピードが1年未満での戦力化を求められるようになっており、課長は組織が巨大化した際に社長一人では見きれない現場業務の「管理」を代行するシステム上の役割を担っている

この記事は、上司や組織への違和感の正体—株主から現場まで7つの立場の論理を解くで取り上げた、株主から現場までの7つの立場のうち、「課長」という立場をさらに深掘りするものだ。

「板挟みだから仕方ない」で理解することの限界

現場の実務では、「課長は上と下に挟まれて大変だから」という理解だけで、日々の小さな不満をやり過ごせてしまう場面が多い。指示が急に変わっても、頼んだことをなかなかやってくれなくても、会議ばかり増えても、「まあ、板挟みだから仕方ない」で片づけてしまえる。

この理解は、間違ってはいない。

ただ、同じように板挟みのはずの課長でも、具体的な改善策を示せる人と、精神論しか言わない人がいる。そういう違いに直面すると、「板挟みだから仕方ない」という理解だけでは、目の前で何が起きているのかを説明しきれなくなる。

僕が話を聞いてきた現場のメンバーの中にも、「結局、この課長は何を基準に判断しているのか分からない」と感じている人が、少なくなかった。

なぜ「性格」や「板挟み」というだけでは説明しきれないのか——課長の役割の定義

社長の戦略から課長の戦術、現場の実務へと落とし込まれる流れを示す図解

管理職の役割研究で知られるミンツバーグは、管理職の中核をなす役割として「仕事の枠組みの構築」と「仕事のスケジュール設定」の2つを挙げている。情報・人・行動という3つの次元を使いながら、この2つを果たしていくというのが、その骨子だ。

課長の役割を、この枠組みに当てはめて言い直すとこうなる。課長の役割は、戦術と業務フローを維持・管理することだ。

部長が立てる「戦略」、つまり資源の配分を受け取り、それを「戦術」、つまり実際に利益が確保できる形の業務フローへと落とし込み、日々止まらないように維持・管理していく。これが課長の役割だ。

課長の言動が理不尽・気まぐれに見えるのは、性格や指導力の欠如が理由ではない。「戦術と業務フローを維持・管理する」という役割上、「今動いている業務を止めないこと」を、常に最優先で判断せざるを得ないからだ。この役割の定義を知らないまま「板挟みだから仕方ない」で理解しようとすると、指示の背後にある論理を読み解けないまま、表面的な言動だけを受け取ることになる。

この記事の見取り図——課長を板挟みにする3つの構造要因を一つずつ見ていく

課長を板挟みにする3つの構造要因を一望できる見取り図

課長を板挟みにしている構造要因は、大きく3つある。

実務と管理を兼務する「プレイングマネージャー化」。経営の論理と現場の情理を、両方の言葉に訳す「翻訳者としての機能」。そして、責任と負担が増える一方で、見返りが追いつかない「罰ゲーム化」だ。

ここから、この3つを一つずつ、具体的なデータとともに見ていきたい。この3つを知ることで、日々の課長の言動が、どの構造から来ているのかを見分けられるようになる。

構造要因①プレイングマネージャー化——99.5%の課長が実務と管理を兼務している

99.5%の課長がプレイヤーとマネジャーを兼務している実態データを示す図解

産業能率大学が2021年に行った「上場企業の課長に関する実態調査」によると、プレイヤーとしての役割がまったくない課長は、わずか0.5%しかいない。99.5%の課長が、プレイヤーとマネジャーを兼務しているという結果だった。

リクルートワークス研究所の調査でも、マネジャーの約9割がプレイング業務を兼務していることが分かっている。その理由として最も多かったのが「業務量が多く、自分もプレイヤーとして加わる必要がある」で57.3%、次いで「部下の力量が不足しており、自分も加わる必要がある」が37.3%だった。

興味深いのは、プレイング業務の比率が20〜30%未満のときに、チームの成果が最も高くなるというデータだ。逆に、この比率が上がりすぎると、成果指標は下がっていく。

課長が「自分の仕事で手一杯」に見え、部下への指導や説明に十分な時間を割けないように見えるのは、怠慢でも、優先順位のつけ方が悪いからでもない。ほぼ全ての課長が、実務と管理の両方を抱えているという、統計的な構造による。

構造要因②翻訳者としての管理職——経営の論理と現場の情理を両方の言葉に訳す仕事

経営の論理と現場の情理を両方の言葉に翻訳する課長の役割を示す図解

課長は、経営の論理、つまり投資対効果の話を、現場が納得できる言葉、つまり負担がどれだけ減るかという話に翻訳しなければならない。同時に、現場で起きている複雑な例外処理を、上に対して理解できる形に翻訳して伝える必要もある。いわば翻訳者としての管理職という役割を、常に背負っている。

この機能は、野中郁次郎氏が提唱した「ミドル・アップダウン・マネジメント」という理論とも重なる。経営トップが持つビジョンとしての「理想」と、現場の「現実」をつなぐ架け橋を、中間管理職が担うという理論だ。経営者は、管理職に変化の兆しを捉え、それを経営判断の材料として提供することを求めている。

課長からの指示が、時に「経営の数字の話」に、時に「現場の負担軽減の話」に、まったく違う言葉で降りてくるように見えるのは、課長が気まぐれだからではない。上と下のそれぞれに通じる言葉に翻訳するという役割を、常に同時並行でこなしているからだ。

この翻訳という仕事の性質上、現場から見た評価基準が、課長ごとにバラつくという現象も生まれる。課長は課長が評価したいように評価するで描かれているような評価基準のズレも、経営の評価軸を現場向けの基準に、課長自身が翻訳し直さざるを得ないという、この構造から生まれている。

構造要因③罰ゲーム化——責任と負担が増えても、見返りが追いつかない

責任と負担ばかりが増え、見返りが追いつかない罰ゲーム化の構造を示すてんびん図

「管理職の罰ゲーム化」という言葉の本質は、単なる仕事量の超過ではない。見返りの喪失にある。

かつて、管理職への昇進は、権限の拡大や報酬の上昇、社会的な地位の向上という、明確なリターンを伴っていた。しかし現在は、責任と負担だけが積み上がり、それに見合う見返りが感じられなくなっている。

2015年頃から進んだ働き方改革によって、非管理職の労働時間短縮は多くの企業で成果を出した。その一方で、早く帰る部下の代わりに、溢れた業務を課長が「隠れ残業」などで巻き取る構造が生まれている。

課長が疲弊した様子を見せたり、時に不機嫌に見えたりするのは、性格の問題ではない。責任と負担だけが増え続け、それに見合う権限や報酬という見返りが追いついていないという、構造的な不均衡から来ている。

なぜ会社は中間管理職の給料を上げないのかで描かれているように、必死にチームをまとめ、現場の混乱を収めても、評価面談で提示される数字が期待を大きく下回るという状況も、この「責任と負担に見返りが追いつかない」構造の延長線上にある。

なぜ「1年未満での戦力化」が求められるのか——教育とスピードの変化

従来10年単位だった昇進が現代では1年未満に短縮されたことを示すタイムライン比較

日本企業は長らく、職能資格制度を採用してきた。勤続年数を基準に社員を序列化し、一定年数の従事を昇進の条件とする仕組みだ。この制度は、終身雇用や年功序列と相性が良く、一階層の昇進に10年単位の年月をかけるのが一般的だった。

一方、現代の事業環境は違う。半期に1回の評価サイクルで設定した目標が、3ヶ月後には事業ピボットなどで陳腐化してしまうことも、珍しくないほど変化が速い。社員には、「言われたことだけをする」のではなく、「自ら考え、知恵や応用力を発揮して行動すること」が求められるようになっている。

かつての管理職教育は、長い年月をかけて経験を積ませ、失敗を許容しながら育てるという前提で設計されていた。しかし、事業寿命が3〜7年と短くなった現代では、その事業サイクルの中で成果を出さなければならない。だからこそ課長には、昇進から1年未満で戦力化し、部下を管理できるようになる、スピード感が求められている。

課長が新任のうちから即座に成果を求められ、余裕なく振る舞うように見えるのは、この時代背景の変化がもたらす、構造的な要求だ。

組織が巨大化したとき、社長の目の届かない現場を課長が代行する

社長の目が届かない現場の管理を課長が代行する委任の連鎖を示す図解

現場のマネージャーは「経営者の代弁者」だ。経営陣が立案した経営目標や中期経営計画を実行に移すための部門責任者として、たとえ会社のごく一部であっても、経営に対する責任の一部を担っている。

組織が小さいうちは、社長一人で現場の業務フローを直接見て回ることができる。しかし組織が巨大化すると、社長一人ではすべての現場を見きれなくなる。そのとき、現場の業務フローを維持し、「管理」そのものを代行する役割を担うのが、課長だ。

課長が細かい業務の進捗や手順にまで口を出してくるように見えるのは、経営の目が届かない現場を、課長が代わりに見ているという構造上の役割による。

1000万円の部長が問題を解決できなかった話で描かれているように、上位の役職者からの「なんとかしろ」という圧力は、部長を通じて、さらに課長・現場へと伝わっていく。組織が大きくなるほど、経営の意図は複数の階層を経由して伝わる必要があり、課長はその末端で、実際の業務フローに落とし込む役割を担っている。

3つの構造要因は、すべて「戦術と業務フローの維持管理」という一つの役割に集約される

プレイングマネージャー化、つまり実務と管理の兼務。翻訳者としての機能、つまり経営と現場の通訳。罰ゲーム化、つまり責任と見返りの不均衡。

この3つの構造要因は、バラバラに起きている現象ではない。いずれも、「戦術と業務フローを維持・管理する」という、課長の役割から派生している。

教育とスピードの変化、組織巨大化による管理の代行という2つの時代背景も、この役割の重みを増す方向に働いている。求められるスピードが速くなるほど維持すべき業務フローは複雑になり、社長の目が届かない範囲が広がるほど、課長が代行しなければならない管理の範囲も広がっていく。

課長の言動の多くは、この一つの役割定義に立ち返ることで、説明がつく。

まとめ——役割が分かると、課長の指示の受け取り方が変わる

ここまで、課長の役割を「戦術と業務フローの維持管理」という一点から見てきた。そして、その役割を板挟みにする3つの構造要因、プレイングマネージャー化・翻訳者としての機能・罰ゲーム化と、教育とスピードの変化、管理の代行という2つの時代背景を見てきた。

課長の言動を、「板挟みで大変な人」という同情、あるいは「性格が合わない人」という個人攻撃だけで理解している限り、日々の指示の背後にある意図は読み解けない。

冒頭で描いた光景を、もう一度思い出してみる。「気合いで乗り切ってくれ」とだけ言われて、黙って席に戻った担当者。先週と違う方針に、徹夜で作った資料を作り直すことになったリーダー。忙しそうな課長をつかまえられず、廊下で立ち尽くした夜。あの場面は、何も変わっていない。課長の言葉も、態度も、そのままだ。

でも、あの場面を思い浮かべたときに、胸に湧いてくるものは、もう同じではない。

精神論しか言えなかったあの課長は、指導力がなかったのではなく、失敗を避けながら業務フローを止めないことを、常に最優先させられていた。方針が変わって見えたのは、経営と現場という、両方の言葉を同時に翻訳しようとしていたからだった。つかまらないほど忙しかったのは、怠けていたのではなく、ほぼ全ての課長が実務と管理を兼務しているという、統計が示す構造の中にいたからだった。

あのとき感じた苛立ちや困惑は、間違った感情ではなかった。ただ、その矛先を、目の前の課長個人ではなく、その人が背負っている役割へと向け直せるようになった。今、あの場面を思い出しても、以前のように、ただ消耗するだけでは終わらない。課長という役割が何を背負っているのかという構造を理解すると、その指示が、どの役割の、どの事情から出ているのかを、落ち着いて見極められるようになる。